ハラタツ
なんか立腹日記

2004年11月18日 デリカシーのかけらもない

 今朝からのニュースをずっと見ていて、夕方6時のニュースでついに私はブチ切れた。奈良で小学1年生の女の子が誘拐され殺害されてしまった事件だ。んもう、何もかも、腹立たしい。

 今回ばかりは、いい加減、腹に据えかねている。何かって? もちろん、マスコミと学校の馬鹿さ加減にだ。

 「娘はもらった」という不気味なメールと残忍な手口。最も憎むべきは、この犯人だ。なんちゅうことをしてくれたんだと、いくら怒っても足りないくらいだ。そのメールを受け取ったお母さんの心中を思うと、いたたまれない。身の安全を守るために持たせた携帯電話が、これほど皮肉な道具にされてしまうなんて、悔やんでも悔やみきれないだろう。今は、遺族となってしまったご両親をしっかりと守ってあげなくちゃいけない。

 それとはあまりにも対照的なのが、メディアのはしゃぎぶりだ。ある種猟奇的な事件を予感させるがゆえに、ことさらセンセーショナルな報道を繰りかえしている。とりわけ腹立たしいのは、ナレーション的にニュース原稿を読んでいるアナウンサーの声の、ほとんど現実感のなさだった。とにかく、NHKも民放も、一体いつからこんなにニュース原稿を読むのが下手になったのだろう。活舌よく滑らかに読んで、耳障りのよさだけが、むなしく響く。その事件がいったいどれほど痛々しいものか、彼らは文面の残酷さを自分の胸に刻みつけながら読んでいるのだろうか。何か、得意満面な笑顔さえ見えてくるような、ノー天気さ。俺は、今、トップニュースを読んでいるんだぞうと、言わんばかりの明るさ。しかもニュースとは名ばかりの、朝から何度も聞かされた同じ文面。

 幼い女の子の命が奪われた悲しみは、かけらも滲んでこない。自分たちにだって、家族はあるだろう、子供はいるだろう。

 感情移入しろと言っているのではない。むしろ、そのほうがこっけいだろう。要するに、何も考えていないのだよ、彼らは。どんなに自分の感情を押し殺しても、言霊は否応なく語りかけてくるだろう。読み手の心の奥を。そんな奥深さがまるで感じられないのだ。

 いやだ、もう聞きたくない! こんな無価値なニュースの読み方で世間を煽るだけ煽って、喜んでいるのは、憎っくき犯人だけじゃないのか。こんなことでもしでかさなければ、存在を示すことすらできないやつが。

 ついでに言えば、犯人の心理に詳しいという犯罪心理学者の、愚にもつかない推理コメントも、まったく必要なし。最近、TVにはこういうコメント泥棒がうじゃうじゃいるから、まったく始末に負えない。
 
 その上、学校の校長先生の「残念だし、悔しい」というコメントは、一体だれに向けられたものなのか。何よりもまず、命を奪われた少女を悼む言葉が出てこないのは、なぜなんだ。きっと、心から悲しんでいないのだろう。自分の保身がそう言わせているのだろう。それを思うと、ますます気持ちが暗くなるのは、近ごろ学校に行く機会が結構あって、先生たちの姿と何となくオーバーラップしたからなのだった。

 なんで、日本はこんなに、血も涙もない社会になってしまったんだろう。感情の奥行きのない人たちがあちらこちらでうろうろしている。私は、それが、怖い。

 


2004年11月3日 やっぱり、だめだ、小泉じゃ

 台風があって、地震が来て、あちらこちらで避難生活を送っている人がいる。TVではその模様が連日流れていて、ようやく景気が上向いてきたかなあと思っていたところの悲惨な状況に、またも日本が打ちのめされてしまっている。そこへもってきて、イラクで日本の青年が拘束され、ほぼ声明どおり、首をはねられて亡くなるという、これまたショッキングな事件が発生した。この事件をどう考えたらいいのか、私はまだ整理できない。
素人が愚にもつかない解釈をしたところで、彼の命が戻るわけもなく、「どうか安らかに」と祈るほか、いきなり地獄へ突き落とされたような悲しみのさなかにあるご家族の気持ちを慰める言葉も見つからない。

 過去のイラクにおける人質事件では、世間の非難に対してはどうしても異議を唱えたくて、それでこのハタラツ日記が生まれるきっかけにもなったけれども、今回ばかりはさすがに、彼のあまりにも危険を省みない行動は理解しがたく、これはだめじゃなかろうかと早々と諦めてしまい、事実そのとおりになったことも、当初は「仕方ない」という思いもあったけれども、日を追うごとに自分の胸の中に、整理のつかない気持ちがどんどんたまっていっているという気がする。犯行グループは後日、犯行声明と残虐な場面をネットで配信したというが、そんなもの、見にいくヤツらの気がしれない。

 彼はなぜ死ななければならなかったのか。イラクを旅の行き先に決めたときから、その結果は半ば見えていたのかもしれない。けれども、そもそも日本人がイラクに行けば命が危なくなったのはなぜなのか。

 理由は明々白々。アメリカに追随して、日本が自衛隊をイラクに送っているからだ。そのイラクでは、アメリカ侵攻以来、10万人以上の市民が犠牲になっているという。アメリカの同時多発テロは卑劣な犯罪だったけれども、5千人のアメリカ人の命とひきかえに、罪もない10万人を殺すことは、「正義」の二文字で片づけられていいのか。アメリカの兵士だって、既に数人を失っているじゃないか。それなのに、ビン・ラディンやフセインでさえ、生きながらえている。

 あれほど先頭立って愚策を弄したブッシュがまた大統領に選ばれようとしている。星条旗に包まれて道端に放置されていた香田さんは、皮肉なことにその投票日に、帰らぬ人となって家族のもとに戻ってきた。その輸送費用を、政府は家族に請求すると言っている。一体、どういう神経をしているのだろうか、政治家たちは。あんなヤツのために税金を使うなという大衆の非難を避けようとでも思っているのか。そんなことを言うヤツらに限って、年金を滞納しているんだろうに。

 日本は本当にイヤな国になった。若者は働かず、親はわが子を虐待し、企業のトップは不正を隠匿し、行政は勝手に大規模プロジェクトをつくっては破綻し、政治家たちは自分の政治生命のことしか考えない。癒し、癒しと温泉に行けば、塩素消毒された再循環のお湯。プロ野球の新規参入だって、最初から結果の見える出来レースだった。事ほどさように、この世の中、嘘が大手を振って歩いている。嘘も方便のお国柄とはいえ、こんな見え透いた嘘ばかり。一体いつから、こうなったんだろう。

 いろいろな出来事を点に見立て、それらを線でつないでいくと、避けようのない人物に行き当たる。そうだ。我らがソーリ、小泉だ。

 思えば、彼が最初に自民党総裁に選ばれたときから。嫌な予感はあった。一政治家として眺めているだけなら、まだ人畜無害だったのに、ひとたび彼に権力を握らせたが最後、実際、これがニッポン崩壊の始まりでもあったのだ。話が少し飛躍しすぎていると思う向きもあるだろう。けれども、私は断じてこう思う。一見紳士風情、しかしてその実態は究極の自己チュー(変人ともいう)、小泉を首相に祭り上げた途端、それまでかろうじて自制のきいた日本人のモラルのたがが外れ、実に「何でもあり、言うたモン勝ち、厚顔無恥」が露呈してきたのだ。だってそうだろう、道路公団民営化に始まって、年金問題、拉致問題、財政問題、外交問題、どれをとっても中途半端でわかりにいまま、アホの一つ覚えしか言わず、挙句棚上げし、何一つ解決していない。持論の郵政民営化だけがいやにさっさと動いたりして。人事は勝手に行い、支持率が上がればご満悦、下がれば支持率をさも気にしていないそぶり。オペラや映画鑑賞、仲間の結婚披露宴にはせっせと行くのに、被災地の視察には二の足を踏み、ブラジル訪問で移民の苦労を思って泣くことはあっても、香田さんの死については、国民の前で何ら大したコメントを出さない。自分勝手、まさに人生いろいろ野郎なのだ。

 彼が首相になって、何かいいことはあっただろうか。むしろ、国民が彼の振り見て、我が振りを直すどころか、「首相がこの程度なんだから」とダレ切っている。

(実は未完原稿。でも、もはや、推敲する気もない・・・・)


2004年8月31日 長嶋的ジャパンの幻想

 
だから、言わんこっちゃない。
 アテネオリンピックの野球で、ドリームチームといわれた日本チームが銅メダルに終わったとき、私はそう思った。

 2日に書いたとおり、私は野球ファンでも何でもないけれども、今回の野球チームは、とにかく、長嶋ありきで暴走した、前代まれに見る、いい加減さ、その成り立ちの不可思議に腹を立てていた。

 選手たちが帰国した日には、成田まで長嶋氏が迎えに来ていたそうだが、結局、何から何まで徹頭徹尾、今回の野球チームは長嶋氏のためにだけに存在していたようだ。あれほど金メダルを期待されながら、オーストラリアに二度負けすることで自滅。やれ、命をかけて闘っただの、金メダル以上のメダルだの、気持ちの悪い詭弁だけがまかり通った。

 それこそ、プロ集団としてのプライドはないのだろうか。ただ、野球少年たちが長嶋さんにほめられたくてアテネまで行っていたのだろうか。しかも、誰も責任をとらない。みんなよくやったという長嶋氏の言葉だけをよすがにして。これじゃ、巷の野球少年にも示しがつかない。

 これについては、思わず溜飲を下げる
記事を見つけた。私みたいな素人でもわかるような「???」に、メディアが何ら取り上げない中で、実に爽快な論調。いや、きっとみんなわかっている。それでも口を割らないのは、ひたすら長嶋氏をあからさまに批判できない球界の空気であって、実はそこに問題があるのだ。新庄を目の敵にして、結構非情に「渇」を入れる張本氏すら、「監督はいなくてもよかった。選手だけでも勝てた。中畑は監督経験ないんだから、あんなことなら、長嶋さんをなぜアテネに連れていかなっかのか」と非現実的発言でお茶を濁して、墓穴を掘る始末。嗚呼、長嶋的ジャパン、どこへ行く・・・。

 いくら長嶋氏が「カール、カール」時代からのオリンピックフリークだったとしても、病気になった時点でやっぱり監督は辞退し、適任者にちゃんと監督してもらうべきだったろう。そうすればもっとシビアな選手選考も可能だったろうし、多少テンションは下がっても、結果は変わっていたかもしれない。

 こんなことになって、彼もかなり晩節を汚してしまったはず。ただ、そうは決して思わないだろうし、口が裂けても言わない。周りもそういう風潮を力づくで押し込めてくるだろう。ナベツネなき後は、やはり彼の存在が完全に過去のものにならない限り、野球界は浮かばれない。イチローだって、ゴジラ松井だって、本当はそういう日本の体質に辟易してアメリカに渡ったのではないだろうか。

 大体、「フォア・ザ・フラッグ」という気持ち悪いスローガンもどうかと思う。ご自慢の長嶋語録としてはいいのかもしれないけれども、そういうものをありがたくいただいて、何の疑問もなく使っている無神経さ。日の丸の旗に、まだ力の入らない手で書かれた「3」の文字が、皮肉にも銅メダルを予感させていたとは、だれも予想していなかったのだろうかねえ。

 あまつさえ、北京こそ長嶋ジャパンで、なんちゅうもくろみには、さすがに「ええ加減にせいよ」の世論が上がってくるとは思う。そうなったら、いよいよ晩節にも関わるだろう。もういい加減、目を覚ましなさい。巨人も長嶋も、今となってはパワーなき、幻想なのだということを。

 彼にとって今一番大事なのは、後遺症もなく、静かに過ごす老後ではないだろうか。ねえ、一茂君。いや、ミスターに幻想を一番抱いているのは、この息子なのかもしれない。あちゃちゃ・・・。


 


2004年8月2日 あきらめが悪い

 アテネオリンピックの野球チームの監督で、病気療養中の長嶋さんが、現地で指揮を執ることを断念したと発表された。

 
そもそも、私は野球にほとんど興味がない。きっと父親の影響だろう。夏場、NHKがゴールデンタイムにナイター中継をすると、「NHKがなんで野球なんかやるんや」と真剣に怒っていた。12歳の頃、長嶋茂雄が現役引退し、山口百恵初主演の映画『伊豆の踊り子』を観にいったら、『さらば長嶋だったか、長嶋選手を称えたドキュメンタリー映画を抱き合わせで上映し、「わが巨人軍は永久に不滅ですっ!」という名言(?)を叫ぶ場面もそのスクリーンで見たような気がするけど、私にすればトリビアよろしく「へえ〜」というしかなかった。つまり、現役の長嶋さんを知らないし、ロサンゼルス五輪だったか、フリーの長嶋さんが、トラックでウィニング・ランをするカール・ルイスの後を追いかけながら、「カール、カール」と叫んでいた、あのすっとんきょうな姿が今でも目に焼きついている。だから、どこまでも長嶋人気を引っ張る野球界そのものにうんざりしてきた。かつて長嶋ファンだった夫もすでに長嶋は過去の存在になっているようだ。

 それにしても、脳梗塞で倒れて以来、いまだにリハビリ入院中の人の去就を、オリンピックまであと2週間という今まで明確にできないで、今ごろやっぱり行けませんという結果まで引っ張るなんて、ナンセンスすぎる。しかも、登録はそのままで、監督代行という名のもとに、実際に監督する中畑清氏が、「こういうとき長嶋監督ならどうするかを考えて指揮をする」という。んなばかなである。いくら師匠の名代とはいえ、そこまで滅私奉公する、あるいはそういうポーズをとるしかないことは、素人でもちょっと分らない。そんな黒子の監督の言葉に、選手が信頼してついてくるとはあまり思えない。

 あくまでも「長嶋ジャパン」という華々しさを温存したいという目論見だろうけど、世間ではとっくに長嶋氏の状態がわかっているから、このしらじらしさは明らかだ。金メダルをとれば、長嶋氏の勲章になるのだろうが、負けてしまったら、そのときの責任も長嶋氏が負うというのだろうか。どんな結果が出ても、責任の所在がはっきりし得ないチームでかまわないというなら、そもそも監督の存在そのものがお飾りでしかない。

 いい加減、長嶋さんにおんぶにだっこ、ヒーロー幻想は見苦しい。長嶋氏が自分への期待を希望の糧にしてリハビリに励んでいることは十分美しい話だけれども、それと現実は切り離すぐらいの冷静さ、客観性を問う声があっても不思議ではないのに、だれも言いだしっぺにならない。だったら、息子の一茂がもうちょっと利口に立ち回ってくれればいいものを、彼とて父親の威光が消えてしまうことが怖いのかもしれない。

 とにかく、そんな生ぬるさが近鉄の身売り問題に端を発した、野球界のゴタゴタにもつながっていると思うのだけど、本当のファンはいったいどう思っているのだろうか。



2004年6月30日 銀行で両替ができない!? 


 数日前のことだ。7月の生活費を下ろさんと、近くの取引銀行へ行った。
案の定、ATMコーナーは長蛇の列。文字通り蛇行した列は、窓口への入り口をふさぐようになっていた。仕方なく最後尾に。

 それにしてもATMには以前から不満たらたらだった。
 そこには以前、カード引き出し専用の機械が1台あった。振込みとか入金でなく、引き出しだけなら、そこに並んでとりあえず現金を引き出し、記帳機で改めて記帳するほうがよっぽど早かった。

 ある日突然、そのカード専用引き出し機が撤去され、とにかく列に並んで待つしかなくなった。

 それはまだ我慢ができた。

 私の場合、引き出した現金を、両替機で千円札に両替して、細かく分けて使っている。家計簿もつけられないズボラ主婦にとっては、唯一無駄遣いが少なくなる家計のやりくり方法なのだ。

 この両替機、ついこの間まで、両替すれば必ず新札になって出てきた。

 ある日突然、両替機がキャッシュカードを入れないと使えなくなった。自行の取り引き客以外の使用を認めないということなのだろう。ATMで使ったキャッシュカードをまた財布から出してくる手間をさせてまで、わざわざ両替機を換えるコストをかけてまで、両替ぐらいでケチケチすんなよと思いつつ、渋々応じる私であった。

 しかし、銀行のケチケチは、それにとどまらなかった。

 ほどなく、両替機から新札が消えた。便宜上、新札も手元に置いておきたかったので、仕方なく、わざわざ窓口に出向いたのだが、朝の10時過ぎの時点で、千円の新札は10枚しか残っていないといわれた。窓口の女性いわく、新札の数が少ないんだという。

 両替機であれほど潤沢に新札を用意していた銀行が、もはや数えるぐらいしかそろえていないという現実に驚かされた。

 銀行の驚きは、それにとどまらなかった。

 話は冒頭の数日前に戻る。長蛇の列を並び切り、1万円札の束(束って言っても、ほんの十万円ちょっとだけど)を封筒に入れて、両替機に向かった。思い起こせば、数年前には、ATMでも両替ができていたのだ。それが両替のボタンを押すと1万円だけが千円で出てくるようになった。今や、それすらない。しかもATMのやつ、時間外だと入金にまで105円を要求してくる。わざわざお客を並ばせて、ATMのサービスは悪化の一途だ。

 悪化は両替機にも及んでいた。もはや新札の両替はあきらめて、機械ですべて千円札に換えようと思い、キャッシュカードも用意して、両替に臨んだ。
 両替したいのは11万円。ところが5万円分しか受け付けない。何度チャレンジしても同じなのにゴウを煮やして、警備のおっちゃんに助けを求めた。

 ところが、おっちゃんは、冷たくこう言った。

 「6月14日から1回の両替は50枚までしかできなくなったんですよ。(上の告知を指し)ここに書いてあるでしょ。それ以上は350円(と言ったと思う)の手数料がかかります」

 はあ! なんで両替に手数料払わなきゃなんないのだ。

 「そしたら、もう1回すればいいんですよね」と憤慨しつつも私。すると、

「それはできません。お一人1日1回までです」

 例えば11万円の両替を無料でしたいならば、半分は明日出直さなくてはいけないというのだ。なんじゃこりゃ。

 というわけで、おっちゃんの優しい(?)アドバイスにしたがって、100枚までは無料だというよその銀行で、残りの両替をするはめになった。
 
 給料日後といはいえ、お金を引き出して両替を完了するまでに1時間近く取られてしまうという、何とも腹立たしい出来事だった。

 金融再編と、大手が合併を始めた頃から、銀行のサービスはどんどん低下してきた。窓口に行けば待たされる。ATMは並ばされる。挙句の果てに手数料の上乗せ。金利はさっぱりつかない。本当に、銀行は単なるお金の通過点でしかなくなってしまった。

 それなのに、りそなや地方の信用組合はいざ知らず、銀行員はいまだに高い給料を保証されている。顧客サービスを継続させるために、自分たちの取り分を下げるのが本筋じゃないのか。何もかもお客に背負わせて、月1回しか来ない両替機の変更でさえ、警備員に「ここに書いてあるでしょ」と偉そうに言われるしかないなんて、おかしすぎる。少なくとも警備員にものの言い方を教えることもサービスの一環じゃないのか。

 この身勝手な手数料主義、今の銀行の怠慢の何者でもない。

 


2004年6月11日 おそるべき年金、いかれこれ

 今日の新聞で、出生率が1.29%に落ちたと大騒ぎ。この間無理やり成立させた年金法案では、1.3%から上昇する見込みを立てていたというから、実にあっさりと試算をくつがえしてしまった。しかも例年5月下旬には統計が出る数字の公表を法案成立後までわざと見送ったともいわれている。

 安倍幹事長は、いけしゃーしゃーと「マクロ経済スライド調整があります」と、あたかも大丈夫なように説明するし、阪口厚労相は「事前の報告もなくマスコミに公表するのはけしからん。処分する」とのたまうし、肝心の小泉はサミットで嬉しそうにしているだけ。

 本当に、開いた口がふさがらない。東京の出生率は、もはや1%もないというのに、一体どうしたらこんなでたらめな試算でお茶を濁せるのだろうか。誰が、この国を誠意を持って導いてくれるのだろうか。

 年金制度が破綻していることは明々白々。国民が痛みを分かち合うことは必然だとしても、そもそも社会保険庁が正しい運営をしていないことを棚に上げて、現政府が国民にだけ痛みを押しつけているとしかいえないような法案を、あんな形で、ドサクサ紛れに通す真意はどこにあるのか。

 議員年金制度には一切手をつけないで。

 きっと小泉が、自分が矢面に立たないように、サミット訪米中に、出生率の公表を行うように仕向けたんだろうと思う。げに恐ろしい。

 手柄は全部自分のものにして、耳が痛い問題はなるべく避けて通ろうという魂胆が見え見えで、ここまで来ると、そういう小ざかしさだけが彼の強さなんだなと、つくづ思う。

 終わりの始まり、かもしれないけれども。


 もともとは真紀子が作り出した変人首相。最初からずっと、ずっと、私はそのいかさまさを問い続けてきた。一度として彼を信頼することがなかった。ここに来て、本当に確信している。彼に実権を握らせて、日本はよくなったのだろうか。否、人格的にとても信頼できない人間をトップに君臨させてしまったおかげで、いまや、日本人の心までささくれ立っている。

 民主党に問題がないわけではないけれども、今度こそ参議院選挙で自民党を政権から引きずり落とさなければ、いよいよ日本人は自分で日本をダメにすることになるだろう。

 自民党のTVCM、「テーマはニッポン」みたいなスローガン。聞いて呆れる。こんなニッポンに、誰がした〜♪。もういい加減、だまされないぜ。

 安倍ちゃんも、いい人ぶっているけど、彼も相当に、食わせもんだと思う。

 願わくば、民主党が真紀子に乗っ取られないようにしてほしいよお。



2004年5月10日 いじめ、に似ている

 別に
この日記、政治がらみ専門のページにするつもりで始めたわけではない。

 たとえば、今子供たちの間(主に小学生の女の子)ではやっているローラー付のスニーカーを目にするたび、つまり、ほんの数メートルでさえ、スニーカーのかかとについたローラーを使って、する〜と滑っている子供を見るたび、それぐらい自分の足で歩けよと腹が立つ。屋外でスケート遊びをするならまだしも、それでなくても体力の低下が危惧されているというのに、こんなものを使っていたら、それこそ自分の足で歩くということさえ、楽しようとする子供が増えていくだろう。 ご多分にもれず、娘もほしがったりするのだけど、私は絶対に認めないだろ。

 そんなわけで、ハラタツことはいろいろあるけれども、ある種世間にかまびすしい話題を提供しているのは、今のところやっぱり政治劇=茶番劇だろう。

 福田の辞任から一転、菅氏の首があっという間に危うくなった。定例記者会見の後で、何度も噛みながら、書かれた原稿を何とか一気に読み終えて、辞任のコメントを発表し、逃げ切った福田。それに比べて、菅氏はあちこちのニュース番組で必要以上に叩かれて、みのもんたにまで罵倒されて、傷だらけのまま今日には辞任を余儀なくされるという。

 しかし、他人に厳しく、自分に甘いのは、菅さんだけじゃない。今のニホンジンはほとんどがこのタイプではないか。

 大体、福田が辞任したのは当然の結果。以前「嘘つきは泥棒の始まりだ」と誰かをののしっていた彼が、あそこまであからさまな嘘をついていたのだ。これ以上官房長官を続ければ、自分が叩かれるのは目に見えていたし、本人もいい加減、嫌気がさしていたはず。不敵な笑みをたたえながら、本人はしてやったりと思っているだろう。

 菅さんは「未納三兄弟!」と振り上げた手でそのまま自分の頭を叩いて、「ポテチン」とやったらいいものを(笑)、こっそり下ろして、「やましいところはない」といきり立ってしまったのがいかんかった。そういえば、数年前に女性問題で揺れたときも、妙に逃げてしまったし。まったく、富士山の頂上が目前に見えながら、小さな石っころに転んで、自分で足を踏み外すような人生だ。

 つくづく、ほんまに、菅さんは、他人に厳しく、自分に甘い。野心だけがやたらに強く、風が読めない人なんだなと思う。

 それでも、不思議なのは、マスコミも皆でよってたかって菅氏や民主党叩きに嬉々としていることだ。本質は、与党主導の影で好き勝手やってきた官僚のずさんな年金制度の問題だろう。何しろ、土井たか子氏まで国民年金を納めていないし、知事の中でも未納が発覚している。こうなったら、国会議員だけでなく、市町村の議員まで、すべからく調査するべきだろう。誰もわかっていない国民年金の仕組みを、サルでもわかるように変えない限り、いい方向には向かっていかない。単純に年金一元化すればいいということでもないのだ。そこに焦点を当てて、自民党を追求するならわかるけど、怒りの矛先を弱い者に向けてしまうのは、イラクの拉致事件でも明らかになった最近のいじめ志向が見て取れる。誰かを物笑いのタネにすること、虐げることで、むなしい気分を晴らすというやり方。日本人だけでなく、アメリカ兵士によるイラク人捕虜への虐待も、そういう流れの一端ではないか。

 どこを向いても、荒んでいる。こんな社会を子供にどう理解させるというのだ。



2004年5月6日 うっかり、なわけない

 政治家の国民年金未納問題。ぞろぞろと未納者が出てきて、今日あたりは民主党の羽田孜氏がカミング・アウトしたようだけど、もうほとんど誰も驚かない。

 彼は現在民主党の特別顧問という、ようわからん役職名を名乗っているけれども、これは自民党の副総裁の山崎拓みたいに、何か付けとかないと格好がつかないという理由でつけているのだろうから、要するにあまり意味のない肩書きなんだと思う。

 しかも、民主党に移る前は自民党で首相にまでなった人。こともあろうにその首相時代から国民年金を納めていなかったというから、これはもう、羽田氏がうっかり忘れていたというレベルではなく、その周辺の人たちも、ハナっから入る必要性を感じていなかったというしかないだろう。

 それがたとえ国民の義務であっても、彼らは自分たちを国民=下々の一般大衆の一員だとは露ほども認識していないようだから、うっかり以前の問題なのだ。

 だいたい、議員年金を納めていなかった議員はいるのだろうか。

 「うっかり忘れていたよ〜」と言う人はおそらく1人もいないだろう。

 だって、10年納めるだけで、終生もらえる割りのいい年金を、彼らが忘れるはずもない。しかも、その7割が国庫の支出金であるのに、民主党の名古屋弁丸出しの河村議員が言い出すまで、今まで誰も問題にしてこなかった。第一、一般にもあまり公にされてこなかったしね。こうした問題が、国民年金のずさんな結末とあまりにもリンクしている

 言うに事欠いて、鳩山由紀夫さんは、「議員年金を払っているから、国民年金も払わなくてはいけないとは思っていなかった」とのたまった。誰よりも国民のことを、誰よりも福祉のことを、誰よりも年金政策のことを考えなければいけない議員が、いかに自分のことしか考えずに政治活動を行っていたのかということを、ものの見事に露呈したのだ。

 根は深い。彼らに、国民年金の未払いを云々することはおろか、その年金改革法案を通す権限を与えてしまった国民、つまり彼らに一票を投じた下々の一般大衆にも責任はある。今こそ、その責任において、彼らを議員の地位から引きずりおろしてもらいたい。特に、福田を選んだ栃木の人たち。

 私が思うに、小泉も相当怪しい。何しろ羽田氏がこんなんだもの。自民党の幹部たちが、まじめに国民年金を払っていたなんて、考えにくい。メディアもこんなとき、どうしてもっと糾弾しないのだろう。


 一番の功労者は、自ら国民年金に加入せず、図らずも加入を声高にせっついてしまった、かの江角マキコ氏だろうね。

  

2004年4月20日 みんな、何様?

 イラクの人質問題は、拉致された5人全員の無事解放という朗報で、一応の解決をみた。
 このニュースで日本中が沸き、そして、奇しくも
新たな問題に揺れている。
 それは、「世間」という得体の知れない、罵詈雑言の嵐。
 やれ、自業自得だ、自己責任だ、自演自作だ、家族が悪いだ、費用請求だ、左翼だ、ナンダカンダ・・・。

 とにかくも、命が助かってよかったねと、思ってあげることはできないのか。

 事件そのものも当然大変ショッキングで、それでなくとも、人一人(結果的には5人)の命と国家を引き換えにしなくてはいけない、ギリギリの局面に立って、日本人はいよいよ、イラク戦争を身近な問題として考えざるを得なくなった。何せ、自衛隊を引き上げなければ、人質を殺すというのだ。しかも期限は3日間。幸いこの脅しは守られなくて済んだけど、家族の命に期限が切られるほど、恐ろしいことはないだろう。実際、殺されたアメリカ人もいる中なら、なおのこと。

 まず、考えてみてほしい。自分の家族がもし、そういう目に遭ってしまったとしたら。たしかにあの家族は、TV画面で見る限り、少々エキセントリックに映ったことだろう。共産党を支持する家族もいたというから、すぐさま自衛隊を撤退させよと声高に訴えたことが、いかに反感を買う部分があったとしても、今、自分の娘や息子、姉弟がどんな目に遭わされているかわからない状態で、冷静に対応できる人がどれほどいるというのだ。必死になって、とにかく犯人を怒らせないでほしいと声を上げないでいられるだろうか。それを、自業自得だ、挙句の果てに「ウザイ」という一言で片づけることができる方が、私にはこわかった。

 犯人に屈して、自衛隊を撤退するjなんて判断ができるわけもないということもわかっている。それでは、皆は最初から自衛隊派遣に全面的に賛成した人たちなのか。私たちは政府が論議を尽くして、国民総意のもとで喜んで自衛隊を非戦闘地域といわれるサマワ(NHK的に言うとサマ−ワ)に送り出したのか。

 久米宏は、「ニュースステーション」の最終日、最後の主張として、「私は自衛隊派遣には反対です」と言った。その意見は何ら批判されなかったけど、私は久米宏が好きではないので、かえってなんか、あざとさを感じてしまったくらいだ。

 ところが、人質家族が自衛隊撤退を叫んだとたん、サヨクだ反日だと非難ゴーゴーになるのはなぜなのか。

 皮肉なことに、犯人グループも解放を手助けしたスンニ派のイスラム聖職者協会の人たちも、人質たちがアメリカとは無関係であるということと、日本で自衛隊撤退のデモが起こったことなどを解放の理由にした。そして、立役者的存在のクバイシ氏は「日本政府のために助けたのではない、日本人のために助けたのだ」とあからさまに政府を批判している。

 イラクもいびつだ。そもそも親日感情を持っていた彼らが、日本人を拉致し、殺すとまで脅しにきたのだ。助けたほうのクバイシ師だって、「普通の人は解放するように訴えている」と言う。闘争以外には、人を傷つけるなと教えているそうだ。イスラム教にはまったく疎いけれども、普通、どんな理由があっても、誰かを不幸においやることは罪ではないのか。けれども、彼らは犯人たちの蛮行を責めてはいない。このような状況を招いたアメリカへの敵意はむき出しにしている。そんな彼らだって、フセイン政権の頃は、いろいろと恩恵を被っていたというし。友人たる日本人は丁重に返してくれた反面、アメリカやイタリアの人たちは命を奪われている。忘れかけているけれども、行われた犯行は、やっぱり卑劣なのだ。
そこを非難せず、身内である被害者に石を投げつけることに嫌悪感を覚える。
 もし、つかまったのが、民間ボランティアでなく、自衛隊員だったらどうだったのだろう。命は保障されたのだろうか。しかし、5人のうち、2人が元自衛隊員というのが、何とも皮肉な話だ。

 退避勧告が出ているイラクに入国した3人に非がないとはいわない。ほかのボランティア団体の人たちは、こんな危険な時期にのこのこ出て行った彼らのいわば非常識によって、安全を確保しながら慎重に続けていた自分たちの活動ができなくなることを、かなり怒っているという。女性のTさんは、いわば自分さがしの途中でボランティアに目覚め、イラクの純粋な子供たちに、自分の生きる価値を見つけたのだろう。彼らを助けることは、自分を救う道でもあったのだと思う。高校生のI君は、その正義感ゆえに、若さゆえに、自分が何かをせねばという気負いがあったのかもしれない。カメラマンのKさんも、私生活で狂った歯車を、何とか人とは違う形で立て直そうとしていたように思える。自分が撮った写真で注目され、有名になりたいという功名心があったやにも聞く。皆、そこいらにいる多くの日本人と大して変わりないのだ。

 あとの2人は、自分のためというよりも、もっと意識的にイラクの現状を伝えようと活動していたようだ。拘束期間が短いということもあり、最初の3人ほどは批判もされていないし、家族だって比較的冷静さを保っていたと思う。

 最初の3人は少なくとも、お金を捻出してまで、誰かの役に立つことをしたいと思う余り、危険な土地へ向かってしまった。何度か行っているという慢心もあったのだろう。そのことは、ご本人たちが、もう、痛いほどわかっている。反省もしている。恐ろしい目に遭ったのは、彼らなのだ。当初は公開されていなかった、かなり残酷なシーンも、昨日になってTVで放映されていた。丁重に扱われたとはいえ、一時は恐怖に直面し、いつ解放されるかわからない絶望感に苛まれたことだろう。

 帰国後、PTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断された3人
の傷口に塩をすりこむように、批判の嵐はやまないけど、じゃあ、あなたたちは、同じように拉致されても、平気でいられるんですか、自分では何もしないで、ネットで口汚く彼らをののしるほど、そこまで偉いんですか、と言いたい。

 政府ちゅうか、与党がいきり立っているけれども、莫大な費用を弁償しろというのなら、今までどれだけの政治家が不正を働き、税金を湯水のように浪費し、年金をぶん取り、しかも庶民の生活を追い詰める政策を展開してきたのか。こんなときぐらい、少しは度量の広いところを見せなさいといいたい。彼らは多くの国民が批判的であるということを逆手にとって、これみよがしに庶民の味方を気取っているけれども、心底、頭の中はカラッポだ。

 そもそも、イラク戦争は誰のおかげで、ここまで酷くなったのだ。アメリカはすでに600人の犠牲を出して、ようやく国連主導に同意したというけど、いかに何でもちょっと遅すぎる。兵士の家族を不幸に落とし入れながら、その間、イラクでは数え切れないイラク人の命を奪って。誰のためにもなっていないことは、明々白々だ。一方、自衛隊は復興人道支援だというおためごかしでごまかしながら、ボランティアの民間人は自己責任で行けと、あからさまに迷惑顔を見せる、小泉の他人事政治が、日本人の心をここまで荒廃させてしまったんだなと、つくづく寒くなってくる。

 パウエル長官が、インタビューに答えて、「イラクの人々のために、危険を冒して、現地入りする市民がいることを日本は誇りに思うべきだ」と言ったという。しかしこれにはダブルミーニングがあると私は思う。
 額面どおりに受けとめれば、それはたしかに3人を賞賛している。一般庶民と一緒になって自己責任論をぶち上げた小泉とはえらい違いやと好感を持って受けとめられてもいいのかもしれない。
 けれども、パウエルさんは同じようにイラクに派遣されている自衛隊も誇りに思うべきだと言っている。こちらが主たるメッセージであり、ついでにいえば、リスクを犯して現地入りしているアメリカも誇りを持たれるべきだと暗に言っているのだ。これは、四面楚歌になりそうなアメリカ国民へのプロパガンダでもあるし、日本へのリップサービスでもある。
 だから私は、この発言がパウエルさんが市民ボランティアの活動に理解を示しているという側面だけを見て語るのは、ちょっと違うな思うのだ。

 ただし、それよりも酷いのは、個人やNGOのボランティアを否定するだけではなく、結果として自衛隊派遣を国民が概ね容認したかのような風潮だ。イラクの復興支援ができるのは自衛隊だけなんだと。外交官2人が何者かに殺害されて、その真相すら公表しないこの国に、本当の民意があるのだろうか。
 
 それにしても、日本のメディアは酷い。3人の家族があれほどバッシングされたのも、もとはといえばマスコミの浅はかな記者会見漬けのおかげだし、まだ解放のニュースが出る前から、あっちこっちのニュース番組で語らせ、あまつさえ、24時間以内に解放するとの2度目の声明文をすっかり鵜呑みにして、家族をぬか喜びさせた。田原総一郎は、まだ何の確証もない時点で、3人がまたイラクに行きたいといったら、どうするかという愚問をして、家族たちは、その時点では解放されると思っているから、またハイテンションで「行かせるだろう」なんて答えさせてしまった。実際に解放されたばかりのTさんに、またイラクで活動を続けるかと聞かれたインタビューを歪曲して流し、政府の怒りを買ってしまう結果になった。

 できることなら、家族を直接矢面に立たせず、外務省か家族を支援する人たちの中から広報担当者を設定して、マスコミ攻勢から彼らを守ってあげほしかったと悔やまれる。北朝鮮拉致被害者の家族の会がマスコミに登場してから、何かにつけ家族に直接語らせようとする風潮があるけれども、それがかえってさまざまな軋轢を生んでいるのではないだろうか。

 だいたい、メディアは本質的な内容よりも、とにかくネタと映像さえあればいいのだ。週間文春も新潮も、まだ3人の無事がわからない段階で、彼らを中傷するような見出しで記事を掲載していた。庶民の下世話な好奇心をあおることが、言論の自由だというのか。あさましのう。そういう意味で、今回の家族たちは、格好の餌食にされてしまった。それでも、家族たちは解放のニュースを受けた記者会見で、マスコミに感謝していた。どうであれ、ああいう状態に置かれた人にとって、無視されるよりは注目されることをよしとするはずだし、マスコミはそれを逆手に取ったのだ。

今回の事件でおいしい思いをしたのは、あっちこっちのニュース番組で引っぱりだこになった中東関係の研究者や大学の先生たちだろう。その人たちの情報も、局面局面でころころ変わり、相当憶測に基づいたいい加減さを露呈した。

 日本に帰国した3人は精神的肉体的にかなり深刻なショック状態にあるそうだ。本当にエキセントリックなのは、3人の家族ではなく、顔の見えない世間ではないのか。血の通う人間なら、彼らが落ち着いた状態で事件のことを語ることができるときまで、せめてもう少し、静かにならんものだろうか。

 それにしても、内閣支持率がまた上がったって? やっぱり、そこがヘンだよ、日本人。
 

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